夏目漱石『吾輩は猫である』

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新潮文庫、610ページ

日本人でよかったと思わせてくれる作品


この名作をついに読破しました。
最初に読み始めたのはおそらく1年ほど前だったのですが、会えなく途中で断念。
1か月ほど前から再び読み始め、最近やっと読み終わりました。
文庫本にして600ページ超。かなりの長編です。こんなに長いとは思っていませんでした。

何と言ったってこの夏目漱石の処女作ですよ。
雑誌「ホトトギス」に第一章が掲載されたのが1905年の話。なんと110年も前!!
それでもいまだに面白く読めるんですから、やはり揺らぐことのない「名作」なのですね。

主人公は名前のない猫。
彼の目を通して描かれる人間の生活。それを風刺的に描いたのがこの作品です。
「あらすじ」というほど大きな作品のお話の流れというものは特になく、大小さまざまなエピソードが次々と語られていくのみの作品となっています。
これはもともと連載されていたもので、第一章が好評だったために予定していなかったほど長く連載することになったためらしいです。
つまり、漱石自身にもプロットや計画があって書き始めた作品ではないということです。

だからこそ「冗長だ」「中身がない」などという声もあります。
でも僕はそうは思いません。この作品の魅力は大きく分けて二つだと思います。

①猫の人間に対する容赦のない批評、毒舌
これは手厳しいですよ。もうバッサバサ斬りまくってますから。
でも猫ってこういう感じありますよね。犬は人間に忠実っていうイメージだけど、猫は完全に人間をバカにしている感じありますよね。
そういう猫の生態も相まってこの小説ものすごい説得力もあるし、読んでいてためになります。
猫から学ぶっていうのもなんだかしゃくですけど。

②もったいぶった大仰な文体
これは好き嫌いが分かれるところではあると思います。
上にも書いた通り、この小説には特にこれといったプロットがあるわけでもなければ、明確なゴールがあるわけでもなく、平和な日常が(悪く言うと)ダラダラと書かれているだけです。
そのうえ、文章がまどろっこしくて読みづらい。会話の内容もギリシャ人の哲学者とか文学的素養がないと理解できないたとえがたくさん出て来たり、とにかく難解。註もめちゃくちゃ多いですし。
だからこれを「わかんない」「いちいち註見ないといけないのだるいし」と言って嫌ってしまうと、この作品を読むのはとても困難になってしまいます。

ですから、僕は途中から註を見ずに読むことにしました。
そんな註が付いているところなんて、会話の大意とはかけ離れていて「あ、ここでなんか洒落たことを言ったんだな」「こういう名前の人がいたんだな」「こういう歌があったんだな」ぐらいの解釈でいいのです。

そうやって適度に読み飛ばすことを覚えると、この作品が一気に面白いものに感じられると思います。
これは英訳したり、外国人が日本語で読んだ場合、味わうことができない魅力ではないでしょうか。

日本語だからこそ楽しめる、素晴らしい名作だと思います。

★★★★★
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