斎藤兆史 『英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語』

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中公新書、255ページ

「今に見ていろ」の心意気


留学に来て5か月。語学は全然上達した気がしない。
こんなこと自信たっぷりに言うことではないのだが、事実は事実なのだから仕方がない。
日常会話で使う表現は多少新しく覚えたが、そんなことはYouTubeのバイリンガールの動画を見ればわかるようなことだ。
もともと読み・聴きには自信があったのでその部分ではあまり苦労はしていないが、やはり分厚い本や専門的論文をを読んだり、授業の中でも活発なディスカッションに入ったりすると置いてけぼりになる。
友達がそもそもいないようなものだから英語で日常会話をする相手もほぼ皆無。
こんなことなら最初から語学学校に行けばよかったと思ったりもする。

まあ当然こんなありさまだから(なのに、という言い方もある)語学へのモチベーションは下がる一方だった。
ただこの本を読み終えたいま、留学に来た当初なみ、或いはその時を上回るくらいの英語欲が芽生えつつある。
本当に留学中に読めてよかった一冊だ。願わくばもうちょっと早く読んでいたらよかったのだが。
いずれにせよ一番どん底から引き上げてくれたという意味でこの本には感謝したいと思う。

この本では、まだまだ英語の学習法が今のように一般的に論じられるようになる前、具体的には明治後期から第二次世界大戦直後あたりまでの時代に焦点を当て、日本が誇る偉人たちがいかにして並外れた英語力を身につけたのかを検証している。
登場する偉人たちを生没年とともに以下に記す。
第1章 新渡戸稲造(1862~1933)
第2章 岡倉天心(1862~1913)
第3章 斎藤秀三郎(1866~1929)
第4章 鈴木大拙(1870~1966)
第5章 幣原喜重郎(1872~1951)
第6章 野口英世(1876~1928)
第7章 斎藤博(1886~1939)
第8章 岩崎民平(1892~1971)
第9章 西脇順三郎(1894~1982)
第10章 白洲次郎(1902~1985)

日本史にまったくもって疎い僕は、正直最初新渡戸稲造と野口英世以外の8人は全く知らなかった。
もしかしたら日本史習ってても出てこない人なのかもしれない。そのへんわかんない。
それでも各章の冒頭にその人の似顔絵と概説が載っているので、すんなりこの偉人たちの生い立ちを読み始めることができた。
これは非常にいい心遣いだ。

この人選には筆者なりのこだわりがあるようで、

"本書では「基本的に日本にいながらにして」高度の英語力を身につけたことが達人選考の一つの基準になっている。神田乃武と津田梅子を除外したのもそのためである。"


と述べている。
第10章の白洲次郎以外はその基準に適合している。
この選考基準から、筆者の「留学に行けばペラペラになれる」という考えへの反発が見てうかがえる。

このほかにも筆者の英語教育への考え方が本書の随所に述べられていて、確かになぁとうんうん頷きながら読んだ。
そんな彼の立場が簡潔に示された部分を引用しよう。

有益な技術である以上、英語はできることに越したことはない。だが、生まれたときから英語圏で生活して、英語の母語話者になればいいというものでもない。日本人として英語を使うことの意味を、われわれはもう一度本気で考えてみるべきではないか。そしてそれを考えるとき、日本の近代を作り上げてきた英語達人ほど格好の手本はあるまい。


すこし簡潔すぎて誤解を生むかもしれないが、他の部分ではより踏み込んだ意見を述べているところもあるので、反対意見があるのならまずこの本を読んでみてほしい。そしたら筆者が言いたいこともわかるだろう。

もとよりこの10人たちは天才的な才能(天賦の才能という意味でも、努力の才能という意味でも)を持っていた人たちだから、その学習法を参考にしようと思って読み始めると当てが外れるかもしれない。
学習方法そのものよりは、その人の生涯に焦点を当てるような内容だ。
一歩間違えばただただ退屈な「短編伝記集」になりかねないが、そこに様々なエピソードを添えて読者をぐいぐい引っ張る筆者の語り口が絶妙だ。
シェークスピアを演じるイギリス人に対して「お前たちの英語はなっちゃいねえ」と叱咤した斎藤秀三郎や、侮辱的な表現で話しかけてきたアメリカン人に機転の利いた切り返しをした岡倉天心など、読んでいて非常にスカッとすると同時に、「こんなレベルの高い人がこんな昔にいたのか」と自らの至らなさを猛烈に反省させられることが多くあった。

偉人たちの学習方法にあえて共通項のようなものを見出すとしたら、彼らの多読を侮ってはいけないということだ。
新渡戸稲造や斎藤秀三郎は「図書館を読破しよう」という、にわか常人には思いもよらない目標を掲げ、二人ともそれを達成しているからすごい。
そのほかの偉人達もやはり文学や論文など分野は違うとはいえ、今の英語学習者とは比べようもないくらいの量をまずは読み込んでいる。
それくらいの量を読むことによって彼らは英語の著作を発表できるほどの格式の高い英語を身につけたのだろう。

それに対して僕はどうだ。今まで英語で読み切った本なんて片手で足りるくらいだ。
というわけでF1関連の洋書をAmazonで買いあさった。熱が冷めないうちに習慣になるように読み始めようと思う。

最後に、僕がこの本を読んでいてなるほどと思った部分を紹介して終わりにしようと思う。
僕を含め、留学に来てネイティブスピーカーと話したことがある人ならなるほどと思って、ちょっとがっかりするような内容だが、おそらくこれが現実だろう。

僕自身が見聞したところから概論するに、英語を母語とする人間に「あなたは英語がうまい」と言われるのは英語習得の初歩の段階で、もう少し上達すると「あなたは私より綺麗な英語を話す」などというほめられ方をする。そして、発音や文法のミスを犯しながらも意思伝達に支障がなくなるにつれ、英語をほめられることが少なくなるようだ。


誰もがネイティブに褒められて舞い上がった体験が一度や二度はあるだろう。
でも、まだまだ、そこは達人への道の入り口でしかない。

でもそんな険しい道を歩んでみたいと思わせてくれるような、とてもいい読書体験だった。

★★★★★
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