村上春樹 『走ることについて語るときに僕の語ること』

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文春文庫、272ページ

ランナーの意識の中をのぞき見してみる


村上春樹のエッセイ本、2冊目です。
とにかく日本に帰るまでは電子版のあるエッセイをたくさん読むしかないだろうということで。

僕はこれまでの人生20年間、一切きちんと運動をせずに生きてきました。
運動部には所属せず、学校の体育の時間もなあなあにやり過ごし、大学に入ってからはだらだらとした生活を送り。
でも去年の夏に、怠惰な生活とそれに見合わない食生活を続けていた結果かなり太ってしまい、「おやおや、穏やかじゃありませんねぇ」と思い、ランニングをしてみました。
でもそれもカナダに来てからすぐ寒くなったというのもあって全然続いてませんでした。
でも2016年明けてからはジムに通うようになり、ここカナダも最近徐々に春に向かってきてはいるので、また走り始めようかなと思っている今日この頃。

だからというわけでもないけれど読んでみましたこの本。
非常に面白かったです。

前回読んだ『若い読者のための短編小説案内』でもそうでしたが、彼が自分の創作活動についてかなり包み隠すことなく語っています。
それに加えて、大学卒業後どのような経緯で小説を書くに至ったのかについても結構なスペースを割いて書かれていて、初めて知ったので読んでいて面白かったです。
彼はこの本をエッセイではなく「メモワール(回想録)」と呼んでいますが、それも納得の内容です。

走ることをずっとずっと続けてきた彼がそれを通じて身に着けた哲学のようなもの。それがこの本の主題です。

サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。どんなつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい。だから物書きとして、またランナーとして、走ることについての個人的なささやかな文章を書き、活字のかたちで発表したとしても、それほど道にはずれた行ないとは言えないはずだ。手間のかかる性格というべきか、僕は地にしてみないと物がうまく考えられない人間なので、自分が走る意味について考察するには、手を動かして実際にこのような文章を書いてみなくてはならなかった。


哲学といえばじっと椅子に座り込んで、動かずにああだこうだ考えるイメージがありますが、意外と自分の行動こそ自分の哲学・自分の考え方の鏡像だったりするんですよね。
自分がどう行動しているか、それが自分を形成しているというか。
特にこの走るという行為はその色が濃そう。

それにしてもこの底知れない文章のうまさ。
真夏のギリシャで初めてフルマラソンを走った時の事、北海道で100キロのウルトラマラソンに挑戦した話、あるいはトライアスロンの話、毎日のジョギングの話。
どの話も極上の日本語で書かれていて、本当に読む「悦び」を感じずにはいられない文章たちです。
ランナーの視点からその「ラン」を追体験して、ランナーの意識の中を覗き見るような楽しみがあります。

そういう文章を書いてみたいです。10年後でも20年後でもいいので。
改めてこの人の文章のすごさに気づかされた一冊でした。

★★★★☆
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