今野真二 『盗作の言語学 表現のオリジナリティーを考える』

盗作の言語学
集英社、200ページ
Amazon(Kindle版あり)

う~ん、思ってたのと違う・・・


<こんな本だよ!>
学者の論文に第三者が書いた論文からのコピー&ペースト(コピペ)が散見され、ツイッターには他人の文章を丸写ししたパクリツイート(パクツイ)が溢れる時代。小説など文芸作品には「盗作」騒動がしばしば持ち上がるが、そもそも表現におけるオリジナリティーとは何か? 読者は「同じ」と「違う」をどこで感じ分けるのか? オマージュ、パロディー、パスティーシュといった表現形態から、寺山修司、北原白秋の詩、短歌・俳句、さらには辞書の語釈まで、表現におけるオリジナリティーの意味を、日本語学の第一人者が多様な視点から考察する異色の「言語&表現論」。


一応僕は大学では言語学を専攻しているので、こういうタイトルには弱いです。
とか言ってもうほとんど興味は消え失せたんですけどね。ゼミ変えてえ。

というわけで読んでみたこの本。
世の中には常に「パクリ騒動」がありますね。
東京五輪のエンブレム問題、ミスチルの「抱きしめたい」がまんま違う曲に使われていた事件、Twitter関連だと最近は@copy__writingの悪質なパクツイがついに日の目を見たとか。
このタイトルを見た時に、こういった社会に蔓延している「パクリ・盗作」というものに対して言語学的アプローチから分析を試みていくのだろうな、と思いました。

そしたら、です。
全然違ったんです。
筆者はこの「盗作・パクリとは何なのか?」という問いから「言語表現の「同じ/異なる」とは何か?」という問いにスイッチし、後者を本作のテーマと位置付けて話を進めていきます。
だから盗作云々の話は事実上第一章だけ、分量にしておよそ3分の1を占めるだけになっています。

残りの部分は、
・「詩的言語の表現」と題し、俳句や和歌の「添削」から見る言語表現の違いを探る第二章
・「寺山修司『チエホフ祭』」と「北原白秋の短歌と詩と」とそれぞれ題し、個々の作品や作者について延々と分析を試みる第三・四章
・「辞書の語釈」と題し「辞書にも盗作はあるのか?」という疑問を呈し、当たり前の結論とも言えない着地点に落ち着く第五章
からなり、正直言って全く面白くない。

第二章では俳句や詞の添削を通じて、いかに表現に差異が生まれるのかということが論じられていて、これはなかなか面白かった。
添削前と添削後では一文字くらいしか違わないのに、それによって全く違う作品になる。
・・・それが盗作に当たるのかどうなのか?という問いをたまに思い出したように突っ込んではくるけども、そもそもこれが盗作として問題になっていない、単なる「添削」だから全然本作のテーマに合致してないんだよなぁ。なんでこんなタイトルにしたんだよ。

ここまではまだ面白いと思える部分があったんですが、これ以降はもう全然。
寺山修司とか北原白秋がもともと好きな人なら楽しく読めるだろうが、この「盗作」というテーマにひかれてこの本を読み始めた人がこれをうんうんと読めるわけがありません。
そこから何か面白いことがわかったりしたらいいんですけど、単なる分析に終始していて門外漢には全然楽しくないです。
実際の作品からの引用で丸々2ページくらい簡単に使うし。
正直言うと、この二つの章は完全に斜め読みしました。

そして最終章は「辞書の語釈―辞書にも盗作はあるのか?」というテーマ。これは「おっ」と思うテーマだったのですが、最初だけ。
結局パッとしない結論に着地して、ちゃんちゃん。なんなんだよまじで。

今まで新書でここまでダメなものに出会ったことがなかったので「新書はどんなものを買っても何かしら得るものがある」と思っていましたが、考えを改めることにします。
これは買わなくてもよかった。

★★☆☆☆
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