雨のパレード / new generation

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1st、2016年、日本
インディー・ロック / ポップ・ロック / ポスト・ロック
★★★☆☆

「いかにも」な「意識高い系」ロック

最初は「いいじゃん」と思ったのですが、聴いてるうちのそのあざとさに辟易してしまいました。

<まずこの一曲>
#2”Tokyo

夢を捨てたって 生きていけるようにできた街だ

先日読んだ朝井リョウの小説『何者』の中に、隆良というキャラクターが出てきます。
彼は大学生にして現代アートに関する文章を執筆する「仕事」をしていたり、「思想を渡り歩く」という小難しい本を読んでいたり、就活をする主人公たちに「その先に何があるか考えたことある?」と疑問を投げかけたりする、いわゆる「ネオ意識高い系」という位置づけで登場します。
でも実は彼も隠れて就活をしていたり、小難しい本は全然読み進められてなかったりと、行動が伴っていない口だけの「イタい」やつとして描かれています。

僕はこのアルバムを聴いて隆良を想起させられました。

「バンドだけど、バンドサウンドじゃない」とかいう尖ったスタンス、バンドメンバーだけじゃなくアートディレクターやデザイナーを含めて雨のパレードですという設定、普通のライブだけじゃなくてアートの要素も取り入れた単独コンサートなど。
「僕らって、他と違うよ!」と全身で叫んでいるように見えます。

楽曲にもそういうあざとさが見当たります。

たとえば、歌詞。
#3”Movement”はこういう歌いだしです。

周りの作った成り行きに
身体をただ単に委ねてる
疑うことをしない僕らは
クラップ クラップ クラップ

「僕らは」という言葉を使ってはいますが、要は「僕はみんなと違ってこの違和感に気がついてるよ、物事を俯瞰で見てるよ」ということですよね。意識高い乙。

曲調も、最新のインディー・ロックのトレンドを取り入れたダンサブルなものが多いです。でも、一曲一曲は起伏があるのですがそれがアルバム全体で大きなうねりをもたらしているかと聞かれれば甚だ疑問。
歌いまわしも結構ワンパターンですし。

#8”10-9”ではこれ見よがしに「はい、こういうのやっちゃうのってアートじゃない?」と言わんばかりにポエトリーリーディングぶち込んできます。
この朗読が始まった瞬間に「はい、このバンド嫌い」ってなりました。

独特なコンサートも、最新のトレンドを取り入れたソングライティングも、ポエトリーリーディングも、どれも簡単にできることじゃないですし、基本的にどれも高い水準にあるとは思います。
でもそれが聴き手の想定を超えた次元にあるかと言われると、そうではない。サウンドも、歌詞の内容も語彙も、ファッションも。
同じような音楽性では今年D.A.N.がすごかったですが、彼らは完全に僕らの想像のはるか向こうのセンスを持ち合わせていました。
それに対して同じようなことを想定内の次元でやられてしまっては、それは「劣化版」としか言いようがないのでは。

まるで、知識だけはあって考えてるふりはしているけれども行動が伴っていない隆良のように。
自分を高いところに位置付けている割に、全然そこに見合ってない隆良のように。

・・・まあ、『何者』のたとえでいうと結局はこうやって分析している自分が一番「イタい」というオチになるんですけどね。


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