又吉直樹『火花』

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文藝春秋、152ページ
★★★★☆+α

「太く短く」を体現した、究極の芸人の姿

この題材でこれほど素晴らしい小説ができたことに喜びを感じます。

<あらすじ>
お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!「文學界」を史上初の大増刷に導いた話題作。

綾部の「NY拠点活動宣言」で何かと話題のピースですが、思い返せば去年はとにかく又吉又吉の一年でしたね。
その騒動に触発されたのか何なのか、なかなかNYで成功するところが想像できないですが、まあなんだ、がんばれ。笑

ず~~~~~っと読みたかったんです、この小説。
まさか芥川賞を撮るとは思ってなかったんですがね。
「芸人」「漫才」を題材にした小説って(僕が知らないってだけかもしれませんが)なかなかない。あさのあつこの『The MANZAI』くらいですかね。
文学的なもので、となるとこの『火花』が唯一くらいなんじゃないでしょうか。しかもそれを本当に芸人である(しかも相当成功を収めている)ピース・又吉が書く、っていうね。
もう奇跡と言っていいくらいの小説なのですが、読んでみたらこれまた引くほど面白くてもう奇跡がインフレ起こしているんじゃないかっていうくらい、なんだかものすごい作品なのです。

芸人のお話です。
売れてない、まだ日の目を見ていない芸人たち。
"夜中に大勢の若手芸人が集められる。狭い待合室に詰め込まれ、汚い服を身に纏った若者たちは皆一様に腹を減らし、目だけを鈍く光らせていた。その光景は華やかさとは無縁の有象無象が、泥濘に頭まで浸かる奇怪な絵図のようだった。"
実際にこういう泥水を飲んだ人じゃないと、こういう描写は書けないでしょう。
こういった細かな風景・心情描写(この二つは当たり前のことながらリンクしている)が、この物語に圧倒的なリアリティと重厚さを与えています。
これが半自伝的なもの、あるいは私小説的なものなのかはわかりかねますが、これは彼が書くからこその説得力だし、彼にしか書けない文章でしょう。
うん、この人普通に文章うますぎる。綾部がしっぽ巻いてNYに逃げたくなるのもわからんでもない。

主人公の徳永の目線でお話は進んでいきます。
彼の目に映る先輩芸人・神谷は半ば怪物と化した、「純粋な芸人」として描かれていきます。
彼はその行き過ぎた純粋さゆえに、現世に取り残された悲しきモンスターのようです。
そんな彼を師と慕う徳永は神谷にあこがれを抱きつつ、同時に持って生まれたものの圧倒的隔絶に絶望しています。そんな徳永の複雑の心情の変化がこの小説の魅力の一つと言ってもいいでしょう。
その心情が如実に表れているのがこの文章。
"ただ、空を見上げ、「どのタイミングでやんどんねん。なあ?」と何度か僕に同意を求めた。喫茶店のマスターの好意を無下にしたくないという気持ちは理解できる。だが、その想いを雨が降ってないのに傘を差すという行為に託すことが最善であると信じて疑わない純真さを、僕は憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛するのである。"
このいびつな二人が織りなす物語はどんどん加速していく―

終盤の漫才シーンや、二人が居酒屋で話し込むシーンにはものすごいカタルシスがありますし、まさに火花のように刹那的に生きる究極の芸人・神谷が放つ数々の芸人哲学(人生哲学)には感心することも多々。
笑いに少しでも携わってる人は絶対に読むべきだし、そうじゃない人たちも読んだら引き込まれること間違いなし。

『火花』というタイトルと、あまりにも刹那的な生き方に、僕はAmazarashiの秋田ひろむが語っていた次の言葉を思い出しました。
命のあまりの早さに対して戸惑う気持ちが摩擦。
人が命を実感するのは、死に直面した時。
つまり命を理解するという事は、自分の終わりを想像できたという事でもある。
その時始めて命のスピードを知り、「焦り」が生まれるのではないか。
命のあまりの速さと、それに対する僕らの焦り。
それが摩擦して火花を散らすのが生きるという事なのではないか。

僕等も火花を散らしながら生きていたいものだ。


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