岡崎体育『XXL』

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2nd、2017年、日本
ポップ

負け犬コウモリのマスターベーション

よし。久々にこき下ろすぞ。俺はこいつが大嫌いだ。
「ネット発の天才」とかもてはやされてるけど、何一つ新しくもない、それゆえ面白くもない。

中途半端なのだ。すべてが。
音楽性に革新性があるわけではなく、かといって評価に値するほどコメディ・パロディとして面白くはない。大前提としてね。
だからこそアーティストとしてもコメディアンとしても評価・批評というものからからの「逃げ」でしかない。
アーティストとしてこき下ろしても「いや、そうやって聴くもんじゃないし」と言われ、コメディアンとしてこき下ろしても「いや、別にそこメインでやってないんで。曲としてはいいでしょ?」となる。
音楽とお笑い、そのどちらも中途半端にこなそうとした結果がこれなんだよ。
鳥類と哺乳類のどちらにもいい顔をし続けた結果どちらからものけ者にされてしまうコウモリの寓話が頭に浮かぶんだけれど、何故かこいつはどちらからも好かれているように見える。あゝ、ニッポン。

本人は電気グルーヴからの影響を公言しているけれど、これはもうてんで勘違い野郎のたわごとですよ。
電気グルーヴは歌詞はハチャメチャだけれどトラックは最先端。その「粋な悪ふざけ」の塩梅が素晴らしいのであって、「単なる思い付きの悪ふざけ」と一緒くたにしていいものじゃない、というのは『A』(1997年)の1枚しか聞いていない僕のような軽薄なリスナーにも見抜くことができるよ。
そこを「あ、これ自分にもできる」と勘違いしちゃって、そして下手に人気も出てきてしまったというのが彼の現状。一つも真似できてないよ、残念でした。

そして何よりこいつがダサいのが、「ふざけてない曲」みたいなものを入れているところ。
そうすると頭の弱いリスナーたちは「ギャップ萌えwww」「めっちゃいい曲!!!」となるわけだ。ご愁傷様。
じゃあこういう「ふざけてませんよ曲」ばっかり入れたアルバムでも作ってみろよ。多分クソほど売れないだろうし、一瞬で忘れ去られるだろうよ。
でもおそらく岡崎体育本人としてはこういう曲を作る才能があると「思いたい」んだろうね。だからこそ「お笑い」曲でリスナーをガンガンに酔わせてからその弱みに付け込んで襲うわけだ。いかにもこいつらしい姑息で卑怯でなにより音楽リスナーをバカにしたやり口じゃねえか。笑わせてくれる。

「電車で聴くと映画の主人公になれる曲」というのも入ってるんだけど、これもおそらく自分で作って「え、これいい感じやん」と思ったけど直球で入れるのは恥ずかしい(才能に自信がないから)から、「笑われる」のが嫌だから自分から「笑わせ」に行く。こっちは真顔ですけど。この曲どっかの著作権フリーのBGM集とかに似たような曲100曲は入ってるよ。そういう人でも作れる曲なの。これは。

こいつには音楽をやるうえで「笑われる勇気」「バカにされる覚悟」みたいなのが一切なかったんだろうな。
『サイタマノラッパー』でもそうだし、『シング・ストリート 未来へのうた』でもそうだけど、最初は散々バカにされながらも、その先に自分らしさを作り出していくのが表現の生みの苦しみなわけ。
そこを全部すっ飛ばしておいしい思いだけしたいなんてもうすべてをバカにし腐ってる。その「逃げ」がもうとことんダサい。

これは一周回って新しいとか、面白いとか、そういうものでは断じてないと思うよ。
こういうなりたがりで中途半端な奴はどの時代にもいただろうし、それがたまたま日本という「音楽情弱が音楽痛を自称している国」でもてはやされてしまっただけ。悪い意味での時代の象徴。
今後「ポスト岡崎体育」とか言ってこんな奴に影響を受けたやつがどんどん出てきたら卒倒するわ。

ライブはおもしろい、みたいな話をよく聞くので「演芸」という形でこれを極めていったらどうですか。音楽人気取るのはやめてもらいたい。
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